「親和」21号( ヒゲタ醤油 1982)
p38)全冷中・第一回冷し中華祭り秘話 (東京)山下啓義
一九七七年(昭和五十二)年四月一日、東京有楽町の読売ホールのロビーは開場を待つ若者でごったがえしていた。
……
早速、弟に電話を入れた。
「祭りをやるそうじゃないか。」
……
「おれのところで、ヒゲタ冷し中華スープっていう冷し中華のタレをやっているのを知ってるだろうが、こんどの会には是非スポンサーとして後援させてくれ。……」
「いや、兄貴、そんなんじゃないんだよ。マジでやられちゃ困るよ。遊びの会なんだ。パロディとジョークだよ。……」
「バカ。お前がプロのピアノ弾きなら、俺だってプロのサラリーマンだ。……」
……
数日後、音楽事務所ジャムライスの鈴木利恵というかわいらしい女性が会社に来てくれた。……本業は音楽事務所のアシスタントマネジャーであるのに……一人二役を見事にこなしている才女と見うけた。……
……
これでひと安心と思っていたら翌日、ジャムライスのマネジャーである岩上六平という男が会社に現われた。この男は今でも山下洋輔及びそのトリオのマネージメントをしてくれている仲々の腕ききで、若いが色々なアイディアで山下洋輔トリオを売り出した縁の下の力持ちである。……
……
しかし、それにしても、あの連中の遊びの精神の見事さにはおどろくばかりだ。あの精神、あの発想、あの創造力、あのバイタリティは敬服に値する。
いろいろなジャンルの人々と知り合い、新しいものの見方、考え方を肌で感じる努力を我々は、もっと、もっとしなければならないと思う。
……
・ヒゲタしょうゆ/
冷し中華の歴史とヒゲタ冷し中華スープ 1977年「全日本冷し中華愛好会」のスポンサーとなる
・スローライフンタビュー/
大豆100粒から広がる大きな輪 山下啓義さん
・ああ思い出ごはん/
忘れえぬ学童疎開の母ごはん 山下啓義さん(2007.12.5)
・奥成達資料室/
冷し中華祭り