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2017年 11月 01日
「現代詩手帖」2017.11 p92) 追悼・藤富保男 新倉俊一 「非凡なる正統」 かれははじめから人生感情をそのまま詩に持ち込むことを拒否して、言葉の造形による曖昧さを尊重する。カミングズは藤富の訳詩を好み、かれからの来信まで保管していたという。 國峰照子 「巨星堕つとも輝きは消えず」 『詩の窓』には「*笑われても、こんな楽しい自分がいる。*笑っても、こんなつまらない自分しかいない。*淋しさを耐える自分に人は知らん顔をしている。」とクリエイターの孤独にふれる三行がある。藤富さんは人になんと言われようが飄々として、詩にかかわる愉しさを語り、つぎの時代の可能性にひかりを与え続けた。その姿勢は堂々とした先駆者であった。 岡崎乾二郎 「頭突きのひと」 あるとき、藤富先生は、ご自身の訳されたカミングスの童話『ぞうさんとちょうちょさん』の朗読をしてくれたのです。 最初は、いつもぼにゃりしているのが好きだというぞうさんが藤富先生自身のように感じられましたが、聞いていると、ちょうちょこそが藤富先生だったとわかってきます。そして、ふたりが出会うくねくね道こそ、詩そのものでした。
by bookbar5
| 2017-11-01 20:53
| 藤富保男
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