千葉の内房あたりをたびたび歩いていたときに、寺社境内などにかなりの頻度で出羽三山の石碑があるのに驚いた。それも結構新しいものもある。今もって千葉で出羽三山信仰が盛んなのはなぜだろう。
2022 袖ケ浦市
2021 市原市
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岩鼻通明『出羽三山 山岳信仰の歴史を歩く」(2017 岩波書店)p100)千葉県に残る行人墓と供養塚
(前略)遠く離れた関東地方では、家督を譲られる年代層の参詣が顕著であった。とりわけ、千葉県においては、出羽三山参りを果たした参詣者は「行人(ぎょうにん)」と呼ばれ、村の中で一目を置かれる長老として扱われてきた。
さらに、三山に参詣した人のみが埋葬される行人墓というものも存在する。(中略)
また、参詣の記念碑が平成に入っても建立されているのは、千葉県以外にはほとんどない。(中略)疱瘡半島の中心部が日蓮宗の強固な信仰地帯で、日蓮宗に対抗するために、それを取り巻く地域出羽三山信仰が盛んになったとする説もある。
村々の講ごとに、梵天と呼ばれる、神の依り代となるカラフルな飾りを祭事の折に立てるが、そのデザインは、ことごとく異なっている。(中略)
ただし、江戸時代の羽黒修験や檀那場の分布を見る限りでは、千葉県はさほど突出しているわけではなく、明治の神仏分離以降、手向の山伏が重点的に布教活動をおこなった成果である可能性が高い。今なお、冬場の農閑期に千葉県内の檀那場廻りを続けている手向の山伏が多くみられる。
大人の休日倶楽部/岩鼻通明「出羽三山、江戸隆盛の秘密 ~家康の威光と物語が広めた憧れの霊山~」ーーーーーーーーー
・千葉県立中央博物館「
出羽三山と山伏 はるかなる神々の山をめざして」展 平成23年
・千葉県立中央博物館デジタルミュージアム/
梵天にみる房総の出羽三山信仰 ・千葉県立中央博物館研究報告 2012.12 /
梵天に見る暴走の出羽三山信仰の現在 小林裕美 ・I Museum/ノート029
出羽三山信仰の考古学 市原市域1 牧野光隆 2022.4
・「歴史地理学」2016.3
房総半島における出羽三山信仰の浸透とその要因 三木一彦 ・花見川図書館/企画展示
山岳信仰と旅 ・まつりと/祭りドキュメンタリー#32
千葉県・木更津中島の梵天立て