「GANYMEDE」2011.12 vol.53
p57) 詩
金澤一志 みみずばれプロセス
p362) エッセイ
金澤一志 趣味の抱卵――2011年始末十項(……は引用者による)
趣味とはどいうことかと考えている。ポストモダンということはどういうことか考えている。いや、どういうことだったか思い出そうとしている……
さんずいメランコリア。
……6月にパリで30年前のイベントを再演した。……
錯視。
……雲も水も流れていくというのに、半径何キロの同心円が重ねられたおきまりのいい日本地図に意味はなく、錯視を狙った詐術ではないかと疑いたくもなる。公的機関のスラップスティックなふるまいを許すことになってしまった責任は、芸術にあるように感じる。
歴史の代謝。
……
詩史。
……
戯言消費。
……
一般に詩はポストモダン建築。
……
詩人という属性、
……
ダーク・ホビー。
……詩は趣味である、業務ではない。あたりまえでしょう。ただし、批判を受容することは礼儀だと思う。なぜなら先方も趣味として詩論を展開しているはずだから。……
依然として夜露死苦。
おそらく、和合亮一をめぐるいらだちの原因は詩人という肩書きのせいだ。……
趣味なのだからスタイリッシュであろうとしなければ。
恨まない最期、という結末を消費する。
まったく正直に言うと、この一年の関心を支配していたのはあるアニメをめぐる顛末だった。……こうしたことばの消費に血道をあげ、加担し、厖大な精力を費やした自分に呆然とする。そしてそれがまだ進行していることに唖然とするのである。文中敬称略
この印刷物はどう販売されてるのかしら? 京都の
三月書房さんに注文すればいいのかな。