今朝六時半に寝床から直角に起きて西の窓にこの月を見て、六時の女に一人で背筋を伸ばして会いに行った男を思う。いや待てよ、会っていたのか? 國峰さんはときめきを聞いている。
巨星墜つとも輝きは消えず
國峰照子
……「想像力とはイメージを新たに作り出す能力ではなく、それを歪曲する能力だ」とガストン・バシュラールは言う。私の部屋に飾ってある藤富氏自筆の詩はその好例だろう。これは詩集『魔法の家』に収められた一篇である。
六
六時の女に会う
六と会う
一人の女に
一人の六時に
一人で六時のところに立って
六時だけが立って
誰もいない
時計台広場の情景を切り取った詩、とみえるが、これを左から読んでみよう。六時に待ち合わせた女が来るか来ないか神のみぞ知る。男の胸のときめきが聞こえてきそうだ。色(シキ)が空(クウ)に、空が色に化学変化する藤富流「六」の歪曲である。詩想はモノとコトとの変容のプロセスにあった。
……
「現代詩手帖」2017.11