山形県酒田市にあった映画館「グリーン・ハウス」(1949-1976)と初代支配人・佐藤久一(1930−1997)を語る映画
『世界一と言われた映画館』(監督:佐藤広一)の上映が東京でも始まった(有楽町スバル座)。
撮影は、山形国際ドキュメンタリー映画祭が2017年に特集プログラム「やまがたと映画」の調査企画として始めたのがきっかけとのこと。
多くの人に愛されたグリーン・ハウスであったが、1976年10月の酒田大火で消失。火元となったこともあり、地元ではおおやけに語られることが極めて少なかったようだ。映画冒頭に火災のニュース映像。当時消火にあたっていた消防士の証言からスタートする。その方は、新人研修のあとグリーン・ハウスで『タワーリング・インフェルノ』を観ていたそうだ。
上映ベル代わりの「ムーンライト・セレナーデ」。入り口の回転ドアが開くと漂うコーヒーの香り。劇場に通った人たちは「ムーンライト・セレナーデ」を聞くと今もコーヒーの香りがしてくると言う。スクリーンの脇には撮影技師の名前が掲示され、休憩時間には上映作品にあったレコードが流された。スクリーンの右側には大きな生花。椅子にかけた白い布。二階にあがる細い階段……。証言するそれぞれの人のなかにあるグリーン・ハウスという場所や佐藤久一さんが語られて、総括するような演出がないのでそれぞれのかけがえのなさがしみる。
佐藤久一さんについては、岡田芳郎さんの
『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』に詳しい。これを読むと、、、この映画は前編であることが、わかる!!
7日の上映後に佐藤広一監督と岡田芳郎さんのトークショー。岡田さんが、戦後すぐの有楽町スバル座の前身・すばる座やその界隈のこと、学校帰りに見ていたというマッカーサー元帥のこともお話しくださった。酒田市とはゆかりのない岡田さんがグリーン・ハウスや佐藤久一さんの記録をタブーという曖昧をタブーとするようにしてきっぱりなされたのは、久一さんと、実際は会えていなくても同時代に生きていた確かなものがあるからと思う。久一さんとすばる座は無関係ではない。しかし岡田さんがいなければ、グリーン・ハウスに興味を持ってもその関係までに行き着くにはだいぶ時間がかかるだろう。酒田というひとつの地域で、佐藤久一というひとりの人が、奇跡的になしとげて、悲劇的に消え去った、というような、個々のものではない。そういうことを、岡田さんを通して、強く感じる。
終わって、パンフレットと『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』へお二人のサイン会。ロビーでは、グリーン・ハウスが劇場で観た人にだけ配っていたオリジナルパンフレット「GREEN YEARS」のバックナンバーを小さくプリントして展示。最終号は1029号、きしくも酒田大火は10月29日であったと、この映画のパンフレットで佐藤良広さんが書いておられる。
最終ページにその創刊号があった。「二つ折りにして当時に思いを馳せてみてください。」はい、やってみましたよ〜。
佐藤久一さんと親しくてこの映画にも出演されている大正15年生まれのバーテンダー井山計一さんのドキュメンタリー
『ゆきぐに』(監督 渡辺智史)も上映中。井上さんは日本を代表するカクテル「雪国」の考案者。1958年度壽屋(サントリー)カクテルコンペで優勝して大きなトロフィーをもらったとき、久一さんが、グリーン・ハウスのロビーに飾るからと「持って行っちゃった」。
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佐藤久一劇場の回転ドア・bookbar5/
『世界一と言われた映画館 ~酒田グリーン・ハウス証言集~』 ・bookbar5/
酒田「グリーン・ハウス」と佐藤十弥『つぶらなるもの』