白石かずこさんの
『黒い羊の物語』(1996 人文書院 扉・カバー装画:Suzanne Treister )に、”高橋昭八郎”さんが登場する。

p98)
まもなく、アメリカにいくことになる。二年前、娘が高一の時もアメリカ政府からアイオワの国際創作プログラムへいかないかとまねかれたが、その時は断った。中学から明星学園という自由な校風の高校にいった途端、仲間はシンナー遊び、もう男と同棲をはじめるものもいて、彼女なそれらの誘惑の巨大な台風の前の、一本のローソクのようであった。(中略)
高橋昭八郎だからショッパチと全校生徒が愛称でよびしたう、彼女の高校の担任の教師ほどすぐれた慈悲と愛、理解にみちた名教師をわたしは、あとにも先にもみない。「人間が人間を教育するなんて、そんなおこがましいことはできません。」理科の教室で冷やしたビールを用意して、面接の時、彼はしみじみ語ったが、わたしもまた虚心に素裸の心を、事情を語ったが、こうあるべき教師という人を百年たっても、わたしは彼だというだろう。
詩人の”高橋昭八郎”さんではなく、白石かずこさんが敬愛する、お嬢さんの高校時代の恩師の”高橋昭八郎”さんだった。他に、奥成達、北園克衛両氏関連のことなどメモ。
p24)
飯田橋の日本歯科大学の図書室で、昼間は橋本先生になっている北園克衛にある日、「詩集をだしたら?」と言われた。その日は金曜日だった。夜、家に帰ると、今までにかいた十篇ほどに四、五篇かきたし、翌日の土曜日に北園さんのところにもっていった。それが処女詩集『卵のふる街』となった。文字は横組みで小型のしゃれた本であり、装幀はモチロン北園克衛である。彼の詩の才能の特異性、詩業については知られているが、デザイン、装幀にかけてもアヴァンギャルドで、わたしは当時の一般の泥くさいデザイナーの中で、飛び抜けた天才だと思ったが、このことはあまり世に知られていないのはミステリーだ。よくよく欲のない偏屈のキラワレ者か潔癖か。そのどちらでもあるのだろう。
一九五一年に出版されたこの本ができた日、早稲田の文学部の前にたむろしているクラスメイトたちにゆで卵をくばった。外食券をもたなければデパートの食堂でも食べられない(まだ日本は難民に近い状態)時である。戦後の飢えから解放されたとはいえハングリーな学生たちと幸せをわかちあった。
p44)
二十代の時に北園克衛の「VOU」クラブに入っていた詩人たちも運命が変わっていった。(中略)
サンフランシスコでケネス・レックスロスのガイドの許に、アレン・ギンズバーグ、『路上』のケルアック、ゲーリー・スナイダーたちがジャズ演奏と一緒に詩の朗読をしていることを知り、その頃、ジャズとビートの好きな数人が集まり、諏訪優の呼びかけの許に詩の朗読をはじめた。一九六一年「三井生命ホール」で奥成達が「新人類学」と銘うって詩の朗読とジャズの会をブロデュースした。わたしが、慶応で「ファイブ・ブラザーズ」なるジャズをやっている弟のグループと「ハドソン川のそば」を読んだのは、その頃である。諏訪優の教えていた学校で、夜、朗読の会をしたのがその前後、こうしたことがその後の現代詩の朗読とジャズの即興演奏などへと発展していく。
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