世界遺産となった石見銀山、その最寄りのJR駅が大田(おおだ)だが極めて静か。駅前から路線バスに。ずっと上りだから採掘跡を見られる龍源寺間歩(まぶ)近くまで車で行ってそこからゆっくり下るのがいいが、大森の町並みの入り口まできたらさすがに団体客に遭遇し、バスを降りて自転車を借り、時差を設けることにします。鍵を受け取り500円を払うのは通りの向うのガソリンスタンド、実はここから眺める大森地区の街並が、ひじょーに美しい。赤茶色の瓦屋根の軒の低い街並が、重さを持って身を耐えているような静けさに溢れている。折しも梅の見頃で、屋根や壁の色、軒の高さに、ものすごく合う。梅の多さもゆえあって、かつて坑夫たちが梅の果肉をマスクにはさんで、いくぶんなりとも粉塵などから身を守ろうとしたからと伝えられているらしい。
早々に車道を外れて、あっちこっち細道に立ち寄りながら進む。街並の中心の一筋は、どれほど時間をかけて修復と保存、観光化が進められていることか。今もなおそれに遭遇、道路はボツボツ整備中。なにしろ16世紀からおよそ400年、日本が世界の3分の1の銀を産出していた時代にその銀を生産していた地区である、その間、周囲の木々を守りながら採掘と精錬を行ってきたことで「石見銀山遺跡とその文化的景観」がアジア初の産業遺産としての世界遺産登録となったのだ。ちょっとずつちょっとずつ、やってくれたらそれでいい。ほんとうに、それがいい。
左右の小高い場所には寺がある。いずれも静かなたたずまいで、それぞれが独特である。西性寺は左官職人・松浦栄吉作の経蔵の鏝絵、鳳凰や牡丹、菊(1919ころ作)が有名で、もちろんみごとであったのだけれど、寺全体のたたずまい、そして本堂の、彩色なしの木鼻の彫刻がよかった。銀山最盛期、20万人がここに暮らしたというのはいくらなんでも信じられないが、どれほどにかにぎわって、寺社も趣きを多にしたことだろう。さて幾つ目かに立ち寄った寺の境内でおにぎりを食べて、気持ちいいなあ。見ると川向こうにおばあちゃんが二人、まあ少女のように足をぶらぶらさせておしゃべりしてます。離れがたい風景だ。
観光客の我に返って、自転車をこぎます。こぐこぐ自転車。by 伊藤礼氏。五百羅漢に参って立ちこぎをしたりくじげたりして龍源寺間歩へ。一直線に並んで進みます。ノミの痕もあらわな細い細い穴がいくつも。前を行く団体にガイドさんがいたのでそそくさついて行きます。博多の商人、神屋寿禎によって本格的に開発されたこと、やがて毛利、尼子らに所有されたこと、ヨーロッパで描かれた地図に銀の産出地として名が遺されてあること、露天堀りと、わき出した熱湯に解けたのを採る二種類があったこと、働き手の多くは近隣の次男、三男、賃料はよかったが30歳くらいで亡くなる人が多かったことなど。外に出てすぐ、岩の上の佐比売山神社に参る。
下り道、気持ちよーく自転車を飛ばして、群言堂でお茶。街並の屋根瓦もおもしろい。鬼瓦のまんなかに大黒や恵比寿。大黒は出雲大社を、恵比寿は美保神社の方角を向くそうだ。瓦の色が特徴的だが、これほど民家に広がったのは戦後。ショーウィンドウで眠る猫を冷やかし、研究室のような中村ブレイスを一周し、妙高寺、大願寺、城上神社など。どんな場所でもそうだけれども、中心の道を外れると驚くほどひとはいない。入っても、気配を消すからか。まもなくタクシーがやってくる。これから温泉津(ゆのつ)に向うのです。