米子からバスで皆生(かいけ)温泉へ。整然と区画されているので歓楽街も露骨で、歩く温泉地ではない。足早に行き過ぎて東奥まで、夕暮れに消え入る間近の
東光園に到着。本館は1964年、菊竹清訓さんによる建物で、入り口から見て奥に流政之さんによる3000坪の庭園が広がり、よく見る写真(たとえばこの一番上のやつ)はそっち側から撮ったもの、なるほどこの歓楽街を抜けて東のどんずまり、正面は玄関ではあるが裏側なのだ。
この町は、どんなふうに作られたのだろう。日野川の上中流で盛んだった砂鉄生産によって土砂が河口に運ばれて作られた弓ケ浜半島は、大正10年ころ、その生産終了とともに浸食が始まる。明治23年に温泉が見つかっており、都市計画として町は開発、その後は浸食対策が繰り返されて、関西からの団体客を中心に迎え今にいたっているようだ。
さて宿は、海を眺めるゆったりした部屋。夕食は、少し遅めだが蟹尽くし。ゆで、蒸し、焼き、汁、バランスがよい。弓ケ浜の葱との陶板焼、天然鰤の酒粕鍋は気が利いている。サービスのひとの距離感もいい。ゆっくり食べて、渡り廊下を通って本館4階部分の空中庭園に出る。暖かい季節には有効に使っているようだが、寒いし節約もあるのか灯りが少なく、手すりも低くてちょっと怖い。そのちょっと怖さが、いいのだな。浴場は視線や洗い湯ができるだけ交じらないような配慮が感じられてよい。塩湯とアルカリ湯、2種あり。そのあと本館7階(だったかな)のバーへ。外からみると大山をかたどったような屋根のあるところ。天井を見上げると納得。少し前までフランス料理のレストランだったとのこと。
翌日、海辺を散歩、残念ながら大山は見えず。朝食のあとは庭園と建物探検。大山、出雲大社、松……。菊竹さんが建物の随所に散りばめたものや、奇妙な造作を楽しむ。ここは昨年運営会社が変わって、昨夜のバーも含めてこれからどう展開していくのか、試行錯誤を新たにした観が随所にある。応援してます。それを伝えるのがこの旅の第一の目的、松江経由で風流堂の
「復刻 日本海 即席しるこ」を買って帰京、よい旅でした。ぶらりじゃ、ないけどね。