上野有隣堂で山下陽光さんの「途中でやめる」のポップアップストアが出ていて、そこに「上野の立ち飲み屋で読むならこの本でしょ!」というオススメ本が並んでいた。全16冊中、1番に挙げてあったのが八巻美恵さんの『水牛のように』。レビューもプリントしてあったのでその一部をこちらに引用させていただきます。
途中でやめる山下陽光の「上野の立ち飲み屋で読むならこの本でしょ!」オススメフェア
①「水牛のように」
著者:八巻美恵
出版社:horo books
水牛通信や青空文庫で知られる方の著作で、インターネットの肯定の仕方があまりにも美しく当たり前な感じがたまらなくて、あなたの汚いもみじみたいな手をもう一度握りたいって書いてた部分もう一度読み直したい。著者は日々の出来事で何かあったことを数十年、いやもっと前の誰かが書いた情景を思い出しながら、それを青空文庫から引いて繋いでくれる。(中略)とにかく47ページの小さい芸術ってのを是非読んでほしい。手紙は現在のLINEに該当するだろうから、お互いを励まし合う幸福を噛み締めたい。
左)『水牛のように』
(horo books 2022)
右)八巻美恵編『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』(叢書 群島詩人の十字路
サウダージ・ブックス 2012)
八巻美恵『水牛のように』47ページ「手紙」より
転勤族の父親の娘だった私は、中学入学からちょうど一年間を福島市で過ごした。福島を離れる日、駅まで送りに来て泣いていた同じクラスの親友が最初にくれた手紙の一節をいまも覚えている。「あなたのもみじのくさったような手を握りたくなりました」。発育不良だったのか背も低く痩せっぽちだったのに、なぜか手だけは大きくてしかもふっくらしていたのだ。ふたりで手をつないで歩きながら、ささいなことで笑ってじゃれあっていた短い日々のことを、まだ友だちもできない知らない土地で思った。なつかしいというよりはせつない。
八巻美恵編『ジット・プミサク+中屋幸吉 詩選』8ページ 八巻美恵「今日という昔」より
詩は言葉の意味だけで読んでいるわけではない。ためしに音読してみると、言葉の意味以外の要素が声に乗って立ち上がってくるのがわかることもある。歌になっていれば、何も考えていなくても口をついて出てきたりするからだ。そんなとき、自分が詩の通り道になっていることを感じる。
1976年10月6日、タイで軍事クーデターがあり、それまでの3年間ほど学生を中心にして花開いていた民主化運動が抑圧され、ジット・プミサクの芸術論の実践だった「生きるための芸術」のすべての活動は禁止された。(中略)
「水牛楽団」はタイで禁止され演奏することができなくなった「生きるための歌」を、タイのバンドに代わって歌うためにはじめた。(中略)
タイからの留学生たちの力を借りて、日本語の歌詞でよみがえったそれらの歌を水牛楽団は日本のいろんなところで歌った。「生きるための歌」の代表といわれるカラワン楽団の「人と水牛」という歌が活動のすべての要にあり、「水牛通信」と水牛楽団の名前もこの歌からもらった。